気になることだけ

日常で気になった事を書いています。エンタメ、暮らし、美容、恋愛、資格。ジャンルは絞れませんでした。

一人で飲みたいのにそうさせてくれない店員と私の葛藤。

 

土日のどちらかに決まったお店でいつも夕方飲みをしている。

一人でふらっと立ち寄って、ビールを三、四杯飲んで帰るだけ。考え事をしながら飲むときもあるが、基本的には周りの雰囲気をつまみに楽しんでいる。

 

週末の楽しみで通うようになってから二ヶ月程経った頃、ある店員が話しかけてくるようになった。

最初は「いつもありがとうございます」や「こんにちは」程度だったので、私も笑顔で受け答えをしていた。これを何回か繰り替えしているうちに、話しやすい人と思われたんだと思う。

今では手が空くたびにこちらにやってくる。

「最近、元気でした?」や「今日は何処かの帰りですか?」といった挨拶と当たり障りのない会話しかしていないが、人と関わりたくない自分には十分なストレスになっている。

お願いだから放っておいてほしい。

 

つい最近の日曜日にそのお店で夕方飲みをした時、いつも話しかけてくる店員が他の店員に「あのお客さん(私)、こうなんだって!」と言っているのを聞いてしまった。

悪気がないのもわかるけど普通に気分が悪い。

きっと今まで話した事も全部、筒抜けなんだと思う。

話したくて話したわけでも、自分のことを知ってほしいわけでもないのに、相手がただの好意で話しかけてくるからと自分のことをホイホイ話してしまった自分が一番アホだ。

 

ここまで話しかけてくるようになったのは、さっきも書いた通り、話しやすいからと思われたからだと思う。

きっかけを作ったのは向こうだとしても、原因は絶対に自分だ。

笑いたくもないのに愛想良くニコニコして話を聞いているのがいけなかった。相手に傷つけられないために優しく思われようなんて思わなきゃ良かったと今、大分後悔している。

 

以前、「人付き合いをやめたら、世界が広がってみえた」という記事を書いた。

その中で人付き合いをやめた結果の変化として、制限が外れ、意欲的になったということをあげた。

しかし今回、対人場面で私は守りに徹した。

私がしているのは人付き合いをやめることであって、人付き合いの苦手さを克服することではない。なので結果としては正しいが、意欲的になった分、対人場面で何かしらの良い変化があるのではと少し期待していたこともあり、守りに入って疲れ果ててしまった自分にがっかりしてしまった。

 

ニコニコして我慢することが守りじゃないとわかっているのに、傷付くのが怖くて別の行動ができなかったことは普通に悲しい。

ただ、着実にNOと言えるようにはなってきている。そこまで落ち込む必要はないのかもしれない。

 

 

 

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シャワーを借りたら、床一面真っ黒だった話。

 

今までに二度、とんでもなく水回りの汚い男に出会ったことがある。

一度目は十九歳の時、二度目は二十四歳の時。二度目の方とは数ヶ月だけ付き合っていた。

共通して汚かった場所は台所のシンクとお風呂場。

シンクはまだ許せたが、お風呂場は本当に最低だった。床一面、カビで真っ黒。

見た瞬間、言葉が引っ込んでしまった。

しかも、湿度でふやけて少しぼやけた感じの真っ黒さなので感じが悪い。

サランラップで海苔付きおにぎりを長時間包んでおいたときの海苔に似ている。

あと、シャワーの水圧でカビが動くことにも衝撃を受けた。

シャワーを当てても動かないカビもいたので、シャワーの水圧で流れたカビは直近で誕生したものと思われる。

一度目のお風呂場の床はまだ足の踏み場があったので良かったが、床一面、カビで覆われていた二度目のお風呂場はアウトだ。

ただ、差はあれど、大量発生(もう海苔)しているカビを見て見ぬふり出来る一度目も二度目もカビと同じだと私は思う。

 

面白いことに、一度目と二度目は汚れ箇所だけでなく、性格も似ていた。

二人とも外面が非常に良いので友達が多いいが、思いやりとデリカシーが全くない。また、相手には厳しくするくせに自分に甘かったり、見栄っ張りなのに言い訳が得意だったりとズルい部分がある。あと、ケチである。

ここまでそっくりなことあるのか?とビックリしたが、”掃除をしない”ということは=”だらしがない”ということなので、そこまでおかしいことではないのかもしれない。

この二人以外でも、「自分、友達多いです!」という人は全員ではないがズルい人が多い気がする。

気のせいだったら申し訳ない。

 

ケチで思い出した、一度目のエピーソードを一つ聞いてほしい。

一度目が財布を私の鞄に入れて欲しいと言ってきたときがあり、そのまま持って帰ってきてしまった時の事。

自分の家に着いたあとで「今出先なんだけど、財布入ってない?」と電話が来たので、「入ってたよ」と答えると、一度目は自分の所まで持ってきて欲しいと言う。

雪が降っているので断ったら、「私の不注意が原因じゃん」と自分は何も悪くないというスタンスを取ってきた。

お願いして忘れたのはあんたなのに…と思いつつ、「外にいるならそのままタクシーに乗って取りに来れば?」と伝えると、「俺が悪くないのになんで行かなきゃならないんだ」と文句を言う。

埒があかないので「タクシー代出すって言ったら取りに来るの?」と聞いてみると、一度目はすかさず「行く」と答えた。

もうドン引きである。責任を片方に押しつけ、さらにケチを発揮。本当に男か?

一度目とはもう、それっきり会っていない。

 

二度目のエピソードも紹介したい。

一番、思い入れが強いのは「生理を一日で終わらしたら?」発言。

生理中のセックスについて話し合っていたときの言葉だ。

びっくりして膣がヒュンとしたのを覚えている。

カフェで「お会計はご一緒でよろしいですか?」と聞かれた際に、何も答えずに黙って突っ立ってたこともあった。(二度目は割り勘スタイル)

頼んだ飲み物は280円。

割り勘に慣れた頃だったので別に払ってほしいとも思っていなかったが、お前の希望で割り勘にしているのにかっこ悪いのが嫌なのか知らないが、「別々で」を言わないのはどうなんだともやもやした。

ちなみに私は割り勘は無理派である。しかし、払って貰いっぱなしは嫌なので、会計の端数や家での家事炊事代、駐車場代等の雑費は出している。

外食をしないからか、結果的に多く払う事が多いのであまり意味はない。

他にもギョッとするエピソートがたくさんあるが、ここに書き切れないのでここまで。

 

最後に。掃除を日常的にさぼるような男にろくな奴はいないと私は思っている。女も同じ。

掃除をしない女の子を家に住まわせていた時があったが、やっぱり酷かった。

今回、例を挙げた二人の性格が似ているという話をしたが、「だらしなさの同じ、遺伝子の違う別個体」の性格が似ていたのは本当に不思議に思う。

この二人がたまたま似たような性格をしていただけかもしれないという可能性もあるので、あと一人、比較対象が欲しいところだ。

 

 

肌断食を一年と四ヶ月を続けた結果(写真)と、ケミカルコスメの使用について私が思う事。

 

こんにちは、気になるホクロです。

 

肌断食を始めてから一年と四ヶ月が経過しました。

今日はその結果を綴っていきたいと思います。

 

※目次から好きな所を読めます。

結果発表~!(写真あり)

①左頬・iphoneカメラ・加工無し

Before

After

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②右頬・iphoneカメラ・加工無し

Before

After

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どうですかね?伝わりますか?

肌の状態が改善したのはもちろん、頬のたるみ(ほうれい線)が薄くなった気がします。

 

※生理前の荒れと暑さでの火照りで少し肌が赤いです。落ち着いてから撮影すべきでした、すみません。

 

※10ヵ月経過後の写真はこちらの記事に↓

www.kininaruhokuro.com

 

約一年半続けてみてわかったこと

【肌のストレス耐性はあがらない】

一年と四ヶ月の肌断食で良くなったわたしの肌も、未だに、ストレスを感じた日やストレスがたまっている日には脂漏性皮膚炎(※)が悪化してます。

(※)顔のくすみ、赤み、かゆみ、過剰皮脂、ブツブツが主な症状。ストレスの他に食べ物、喫煙、お酒でも発症。原因は個人差あり。

私の場合はストレスが主な原因、次に脂っこくて添加物の多い食べ物、喫煙。お酒ではなりません。

 

肌断食で肌が強く、綺麗になったからといって肌のストレス耐性があがるわけではないようです。

綺麗になるし、強くもなるけど、「弱い肌」は変わらず。

弱いながらに強くはなるけど、決して「強い肌」にはならない。

ちょっともどかしいけど、十分満足しています。

【変化が顕著に出る】

私の場合は何も施していない分、余計に肌に変化が出やすくなりました。

煙草1~2本吸うと次の日の肌がカサッとしたり、吸った直後に即!顔が赤くなります。お酒のつまみにビーフジャーキーやポテチを少し食べたら、次の日肌がかゆいかゆい。(脂漏性皮膚炎)

肌断食前は少し食べたぐらいじゃ荒れなかったのにな~と思いましたが、前は常に肌が

荒れている状態だったため、わからなかっただけだと思います。

また、変化に気付くということは、元が安定してきたということでもあるので嬉しいポイントでもあります。

 

ちなみに、肌断食十ヶ月目よりも現在の方が変化が目に見えてわかりやすいです。

 

めちゃくちゃ荒れる前に変化に気付けるので有り難いっちゃ有り難いけど、やっぱりちょっと落ち込みますね。

 

【ポイントメイクはケミカルコスメでもOK】

肌だけミネラルコスメを使っていれば、肌断食の効果は十分に得られます。

マスカラやリップもミネラルコスメにしないといけないのか~と落ち込んだ時期もありましたが、無事に解決。

何故悩んでいたのかというと好きな色・似合う色がなかったからです。

 

落とすときはポイントメイク用のリムーバーを使っています。

※こういうやつ。

 

肌断食中のお化粧について私が思ったこと

肌断食をしようか考えている人の中で「やっぱり完璧に武装したい!化粧が好き!趣味は化粧!新作コスメが楽しみです!」という方もいるんじゃないでしょうか?

そういう方にとって「ミネラルコスメだけに限定されること」はプチストレスになるのかなと思います。

 

個人的にはストレスになるぐらいならケミカルな化粧をしても良いと思っています。

ストレスこそ、一番の悪だと思っているからです。

 

ただし、好き放題に化粧をしてもいいという意味ではありません。

肌断食と好きな化粧を両立させるために、最低限の条件を決め、バランスをとることが必要だと考えています。

 

ここでいう最低限の条件は肌断食の基礎でもある、何も付けない・何も塗らない。

ここを守らずにいじってしまうと元も子もないからです。(土日だけ、夜だけの肌断食は除く)

バランスの取り方は、土日や何か特別な日だけに限定したり、オイルクレンジングをやめてミルクにしたりになりますが、自分の出来る範囲で負担を最小限に抑えていことが一番大事です。

 

もし可能なら、下地をワセリンにし、肌を保護した後でケミカルなパウダーファンデをブラシで薄く塗る方がいいかと。

下地もがっつり、ファンデもがっつりより負担が少ないので大分マシです。

ワセリン、以外と崩れにくいですよ。

 

まあ、でも、肌を綺麗にしたいのであれば石鹸で落とせる物を使うのが一番です。

 

まとめ

ここまで読んでくれてありがとうございます!

時間が流れるのは早いですね~。あっという間に一年半です。

自分の性分に合っていたからこそ、ここまで続けられることが出来たと思います。

 

最近思ったんですが、私の周りの肌の綺麗な子は化粧は普通にするけど、落とすときは拭き取るだけ、拭き取った後はスキンケアをしない子(気が向いたら程度)が多いことに気が付きました。

ズボラというか、なんというか。

 

その子たちのお母さんを見ても美肌!美肌!しっかりスキンケアしなくちゃ!っていう感じでもなかったですね。

サッとでいいのよそんなん、みたいな。

簡単に済ませている母親を見ているから、その子たちのスキンケアも簡単なのかもしれません。

 

普段、生活をしていてシンプルが大事なんだなと思う時が多々あります。

やっぱり、「慎ましく尊く生きなさい」ということですかね…

 

それでは、またの更新を楽しみにしていてください!

 

 

 

 

 

バイトでも従業員でもない人が食事を配達してくる時代になるとは思わなかった。

 

昼下がりにマックの前を通った。小さい店舗にしては結構な数のウーバーイーツの配達員。

見た感じ、みんな三十路を超えている。

大学生ぐらいの年齢の配達員が多いのかと勝手に思ってたが、どうやらそんなこともないらしい。

おじいちゃん配達員もたまに見かけるので若干、年齢層は高めなのか?

配達員も日本人だけじゃない。中東っぽい顔立ちの外国人に、おそらく中国人であろう人もいた。

「ウーバーイーツ」より「グローバル」という名前の方がしっくりくる。

 

店の前に駐輪されている緑と黒の配達自転車。

目立つデザインを眺めながら、「これが高校生だったらな」となんとなく思った。

爽やかで清潔感のある子に配達して貰う方が私は嬉しい。

 

同じ学生なら大学生でもいいんじゃないかと思って想像してみたが、缶チューハイを片手に話しかけてくる茶髪の男の子に、地面でだべっている女の子しか浮かんでこない。

もう配達どころではない。

 

正直、大学生の印象はそんなである。

私の周りにいた大学生だった人達を見ていて思ったが、お酒に合コン、何かの飲み会、サークル、たまにレポートをする印象しかない。不健全で不健康な感じ。

あくまで個人的なイメージだ。

 

大学生になって縛りがなくなり、良いことにも悪いことにも触れる機会が多くなれば、自由な分、欲に溺れることもあると思う。

義務教育を終えて自由に羽ばたき出したばかりの大学生に自制は難しい。

ちょっと汚い、清潔感や爽やかさに欠けたイメージになるのは仕方ないことだと思っている。

 

ちなみに、今まで一度もウーバーイーツを使ったことはない。

基本的に自炊派だから利用する機会がないというのもあるが、やっぱり衛生面が気になって使う気にならない。

何かあったときにどこに責任があるのかの曖昧さと、どこかに所属をしているわけではなさそうなあの感じも利用の邪魔をしている。

 

逆にお店が雇ってるアルバイトがデリバリーをする分には全く抵抗はない。

何の抵抗もなく利用出来るのは、やっぱり責任と所属がきっちりしているからだと思う。

私は自分を綺麗好きな方だと思っているが、傍から見るとやや潔癖に近いのかもしれない。

潔癖というより、単に真面目すぎるだけなのか。

 

今の私も、五年前の私も、十年前の私も、お店の従業員以外が食事を配達してくる世の中になるなんて全く思いもしていなかった。

だが、そんな時代になってしまった。

そのうちいずれ、人が運ぶ時代も終わるのかと思うときがある。

そうなった場合、ドローンやロボット、電動の無人カーになると思うが、科学がもの凄い勢いで進歩するならテレポーテーションでの配達もなくはない。

テレポーテーションまでいくと、もはや最初から違和感なく使ってしまいそうでクスッとする。

 

どんな未来になろうと人は順応していくと思うが、便利とは何だろうと考えてしまう。

「生きている」から「生かされている」に変わってしまわないか不安になる。

どんなに便利な世の中になろうと、食事の有り難さだけは忘れたくないなと私は思う。

 

 

食事をしに行ったら、隣の席がパパ活だった。

 

つい最近、友人とイタリアンのお店で飲んでいたときの話だ。

 

この日は休日なのでどのお店も家族連れやカップル、女子会に会社の飲み会で賑わっていた。

「もしかしたら入れないかもね」と話していたが、店内を覗くと一つだけテーブル席が空いていた。

こういうときの運は良い方だと自分でも思う。

 

席に案内されるなり、生ビールを注文した。

追加で生ハムにサラミ、タコと青唐辛子のアヒージョも。

食事とお酒が美味しいので自然に会話も弾む。

 

ほろ酔い加減がピークに達して一息ついたとき、ふと左横の男女が目に付いた。

およその年齢差からして最初は親子かと思ったが、親子にしては会話が少し変なのだ。

趣味の有無を聞いていたり、女の子が年配の男性の話をひたすら褒めていたり。

距離が近いので、自然と聞こえてしまう。

 

上手く言えないが、娘が父親に向けるような視線でもなければ、父親が娘に向けるような視線でもない。

例えるならデート中の男女の、お互いに静かに何かを期待をしているようなアレに近い。

 

しばらくして年配の男性が女の子に自分の携帯を手渡した。

スマートフォンを渡された女の子はというと慣れた手つきで淡々と何かを入力している。そして何かを入力し終わり、携帯を年配の男性に返すとトイレに立った。

 

友人と目が合う。

疑問を浮かべた顔をしていると「カードかアプリの送金画面だったよ」と教えてくれた。

席から年配の男性の手元が丸見えらしい。

「なんか気まずいね」と小声で返しておく。

 

女の子がトイレに立つと、年配の男性が会計をし始めた。

声がよく通る。領収書を切ったようだ。

他人の懐事情に興味はないが、多分パパ活であろうと思われる食事代を経費で落とすのはいかがなものか。

 

トイレも会計も済ませた二人は出口に向かう。

40半ば~後半ぐらいの服装に気を遣っているが、少しビールっ腹の男性を追いかける形で、綺麗な茶色のロングヘアにBurberryのロゴTシャツ、Diorのハンドバッグを身に付けた二十代半ばであろうアイドル系の女の子が私の真横を通り過ぎ去っていく。

申し訳ないが、仕事をしているようには見えない。

 

あと少しで店を出るといったところで、私の真後ろの席に座っていた家族連れがざわついた。

母親らしき女性が「ねえ、あれ、パパ活?パパ活なの?」と家族に聞いたのだ。

子供達の回答は聞こえなかったが、この家族連れも私たちと同じように何だか気まずかったはずだ。

 

きっと彼女は母親らしき女性の言葉も私達の視線にも気付いている。

見せ物に近い視線や言葉に耐えられることはシンプルに凄い。

「その気持ちの強さと忍耐力を仕事に活かせば、何かが生まれるのに」と彼女に対して思ってしまったが、自分の意思でパパ活をしている彼女からしたら余計なお世話だ。

 

個性を尊重する時代になって個人の考え方が極端化し、ネットが以前より当たり前になった今、手軽さや楽を求めて簡単に我慢と危険を受け入れる女性が増えた。

ネットを駆使しているのなら、女性が相手の男性に騙されたり、女性が死亡した記事を見かけていると思う。

それなのに辞めようとしないのは味を占めて自分の欲に溺れてしまっているということなのだろうか?

多分、もっとシンプルな理由なのだろう。

 

「女性は現実を求めて、男性は理想を求める」、これを具現化したものが「パパ活」だと私は考えている。

 

個人的な話になるが、パパ活のせいでパパ(お父さん)が私と一緒に出かけるのを嫌がるようになった。

馴染みの飲み屋で一緒に飲んだときに、よくわからない常連から「本当のお父さん?」と言われたことがきっかけだと思う。

「酒が入っているといえ、わざわざ聞いてくるような奴の言うことを気にしなくて良いのに」と私は思うが、どうやらそうもいかないらしい。

打たれ弱い生き物である。

 

三年前ぐらいからハイブランドで買い物をする際に、行きの車内で「絶対にパパと言うなよ」と念を押してくるようになった。

会計処理時の店員の話しかけにも一切、応じずに沈黙を貫く。

帰り道の車内では「俺はパパだけど、パパじゃないぞ」だ。

実の親にこんなことを言わせたくない。

 

これから先、仮に「パパ活」という名前のブームが落ち着いたとしても、「パパ呼び」から連想するイメージを拭うことは出来ない気がする。

誰も手の付けられない問題になってしまったのだ。

 

 

 

 

人付き合いをやめたら、世界が広がって見えた。

 

今年で二十九歳。正確には二十八歳と五ヶ月になる。

休日に半身浴をしていたときに人付き合いをやめようと決心した。

 

人付き合いで疲れることに限界を感じてしまったのだ。

働かない稼ぎ方があるなら、人付き合いをしない人生もあっていいはずだ。

人付き合いをやめたことは関係問わず、誰かと毎日長時間一緒にいるのが苦痛な自分にとってベストな選択だったと思う。

しかし、完璧に人間関係を断ち切ったわけではない。

心の健康のために自分を大切にしてくれて、尚且つ気を許せる人は手元に残した。

結果的に五人しか残らなかったが十分満足している。

 

人付き合いをやめたことで起こった問題は特にない。

人と関わりたくない自分にとってはあってもなくても変わらないものだったのだ。

ただ、私も人間なので今でも寂しさを感じることはある。

 

人付き合いをしていた頃は寂しさを感じる度に「飲み屋に行けば誰かと話せるはず」と夜な夜なフラついていたし、ネットの掲示板やマッチングアプリでその日会えそうな男の子に連絡したりと散々だった。

それらをしたことで寂しさを拭えた試しは一度もなく、むしろ気持ち悪い罪悪感が募るばかり。

なのに人を求めてしまう。

これらは自分に学習機能がないからではなく、「人付き合い」をしているから求めることが当たり前になっていたことが原因だったと今なら分かる。

そこにあると求めてしまうのはきっと私だけじゃないはずだ。

 

人付き合いをやめて良かった点は他にもあった。

まず、自分の人生を生きているという実感がわいた。

何故かというと時間と気持ちを周りに合わせなくて済むので、自分の為に時間を使い、自分の気持ちを最優先に考える事が出来るからだ。

行きたくもない飲みの誘いに無理にOKしてしまうこともない。

 

自分の時間が増えた分、将来や現状について考える事も増える。

最近は電気を消してキャンドルとアロマを炊き、ジャズを流しながらビールを片手にスタイル。これが本当に楽しい。

訳もなく飲み歩いていた頃には手に入らなかった、至福の時間である。

 

次に、自分自身にかけていた制限が外れた。

人付き合いをしていた頃は周りに合わせることがデフォルトになっていたせいか、新しい物事に挑戦することはほとんどなかった。

気になることがあっても「周りにこう思われたら恥ずかしい」とか「周りでやっている人いないしな」というしょうもない理由で自分の気持ちにストップをかける。

 

辞めた今は意欲的に挑戦している。

暗闇トランポリンの体験に一人飲み、街コン、ハプニングバー、クラシックコンサート鑑賞、放置していたさつまいもから生えた芽の行く先、キャベツとレタスの整腸作用の実験に、二週間、一万六千円生活とジャンルは様々だが、どれも楽しかった。

この中でやらなきゃ良かったと後悔したものはない。

このブログもその一つだ。

 

自己肯定感がいくら低かろうが、その気になれば何でも出来るのだ。

自分主体で生きることがこんなに楽で楽しいものだと思いもしなかった。

 

最後になるが、私が人付き合いが苦手ではなく、自分の価値を自分で認めてあげられるような人間だったらこんなことはしていなかったと思う。

 

自分自身に対する見方をかえようと年単位で努力しても、生まれ持った性質や辛い体験から出来上がった人格を変えることは出来なかったし、むしろそのままの自分を受け入れた方が早いのではとさえ感じた。

ストレスを感じながら自分を変えようとするのは矛盾している気がしたからだ。

 

根本をプラスに動かそうと自分に我慢を強いる、理屈は分かるが、これじゃきっといつか自分が爆発してしまう。

 

なので私はそのままの自分を受け入れることを選んだ。

これから先、歳を重ねるにつれて自分の考え方や価値感が少しづつ変わってきたときに、今の自分の選択がどう転ぶのかは分からないが、その時の自分に良い選択を今みたいに考えられたらなと思っている。

 

だから今は、いつか「やっぱり人と関わりたい」と思ったときのために、自分の土台をしっかり作っておかなければならない。

人付き合いをやめたおかげで浮いた気力と時間を使い、仕事や考え方はもちろん、これからの自分のあり方や人間性を育んでいくことが私の課題になった。