お酒を飲むとダメになる。
ずっとそう思ってきたが、「ダメな人間が飲むからお酒がダメになる」が正解なんだと最近ようやくわかった。
実際にお酒が入ってもきちんとしている人はしている。
酔ったとしてもほろ酔いで、自分の記憶があるうちに家に帰ろうとする。
私みたいに朝方に自転車と道路で寝たり、飲んでいる途中でフッと記憶が飛んでしまう癖を持っていない。記憶のない中で他人に暴言を吐いたり、ラーメンやうどん、ポテトチップスを食べることもないし、転んで前歯を欠けさせたりもしない。
どうして今まで自分のせいと考えずにお酒のせいにしていたんだろうと不思議に思うが、私の周りの子もお酒のせいにする子がほとんどなことに気が付いた。
「あの人はお酒がなかったらね」
「あの人はお酒が入るとダメになるよね」
「昨日はお酒が楽しくてつい」
私を含め、誰も飲む人自体に問題があるとは考えないらしい。
お酒を飲まない人からしたら、”お酒じゃなくてその人に問題があるんじゃないの?”となるところを、お酒を好んで飲む私は全てお酒のせいにしてしまう。
程度の差はあれど、誰もがお酒で失敗したことがあるからこその思考だと思う。
単純にお酒が好きだからも関係している気がする。
好きな人の悪口を言わないことと同じなのかもしれない。
あと一杯、もう一件がやめられなくてどれだけ嫌な思いをしたか?
どれだけ翌日の時間を無駄にしたか?
考えようとするとうしろめたさと恥ずかしさで顔が熱くなる。
お酒をやめれば、酔って記憶をなくして変なラインを送ることも、翌日に酒鬱で死にたいとなることも全部なくなるのに、今まで私はお酒をきっぱりやめるという選択をしなかった。
二日酔いを超えて三日酔いが当たり前になる頃には、迎え酒をしないと顔のむくみが取れなくなった。肝機能がおかしくなっていたと思う。
お酒が体から抜けるにつれ、手と足が震えるようにもなった。鬱っぽさを消すために、人に会う前に一杯のビールを口に運ぶ習慣も出来た。
家での一人飲みで缶ビールを十二本も空けたり、鏡月を毎日二本飲むようにもなった。
お酒を入れないと人と話せないことに気付いてもお構いなし。
記憶をなくしたまま、自宅のソファーにうんちをしたこともある。ズボンは汚れていなかったので自分の意思でしたと思われる。
トイレと間違えてたのかは分からないが、二十九歳になった女がソファーの上で踏ん張るのはよろしくない。
とにかく、そんなこんなで日常を忘れさせてくれて、気を失ったように眠らせてくれるお酒が私は大好きだったし、親よりも頼りにしていた節がある。
今思えば、完璧にアルコール依存症だったと思う。
自前の不眠症と精神疾患の影響がアルコール依存に拍車をかけたのは間違いない。
「このまま飲み続けていたら脳みそが溶けてしまうんじゃないか?」
そんな怖さを感じ始めたとき、世の中はコロナ禍になった。もうやるしかない。
断酒を始めることにした。
最初は禁煙と同じで全身と心と頭の中がソワソワしてくる。
常にお酒で頭がいっぱいなので続けられるか不安だったが、飲まないが習慣付くと意外にも楽だった。
断酒が当たり前になった頃、お酒を飲みたいと思わないことが増えた。
これも禁煙と全く同じ現象だったので少しびっくりしたが、ストレスや不安を感じるとまだ脳はお酒で紛らわそうとする。
煙草よりもお酒が手強い理由は正気を保たせないまま、長時間、脳を麻痺させてくれるからだと思う。ストレス解消に手っ取り早い理由でもある。
無理にストレスに逆らうのはよくないと思ったので、どうしても精神的にダメな時はビールを一本、なんだか我慢できそうな日は炭酸水で乗り切ることにした。
これを繰り返した結果、気付くとビールと炭酸水がなくても毎日過ごせるようになった。
終わるときは一瞬だよなとしみじみ思う。
普段飲まなくなったからといってアルコール依存症が治ったわけじゃない。
彼らは飲んだらすぐに戻ってくる。
断酒にも慣れた頃、もう大丈夫だろうと友人と会う日は飲んでも良いとした時期があった。最初の数回は自分の意思を持ち続けたまま飲んでいられたのに、何回目からか、突然また記憶を失うようになってしまった。
これはいけないと記憶があるうちにお酒を止めようとしたが、全然出来ない。
「自分はもう大丈夫!」という自信があったので結構辛かった。
一般的にこの状態をスリップというらしい。
「もう大丈夫!」で油断をしているとズルッといってしまうからスリップっていうのかななんて考える。
このスリップはアルコール依存症の治療を受けていて、なおかつ過程が良好な人に多く見られるそうだ。油断大敵だった。
断酒をしたからって量を減らす芸当を習得するわけじゃない。
お酒で困っているなら飲まないの一択しかない。過信をすると全てがダメになる。
「でも」で考えてしまうとお酒は失敗する。
なので、「もう少しだけ」「でも飲みたい」は本当は飲みたくないのサインと考えたほうがいい。
そもそも、本当に飲みたいのなら「でも」なんてつかない。
お酒をやめるに当たって、まず第一に交友関係を心配すると思うが、はっきり言って良好な人間関係を気付くのにお酒はいらない。
ただ、飲むことをやめた私に戸惑う反応を示す人が多かったのは事実だ。
その戸惑いを感じるたびに「自分は何も悪いことをしていないのに」と胸がキュッと締め付けられた。
”変化に戸惑うのは当たり前のことだと分かっていてもなんだか苦しい。しかし、その変な苦しさに負けてしまえば、一生私は変わることが出来ない。”
こんな葛藤でしばらく気を病んだが、ここを乗り越えたら気持ちが妙に吹っ切れて毎日が楽しくなったし、自然体で生きてもいいかもと妙に安心した気持ちに包まれていることが増えた。
この気持ちよさをたかだか一過性の悩みで失うのはもったいなさ過ぎる。
なので、断酒を考えている人はある時点のその時だけの悩みに負けないで欲しい。
あえてメリットは書かないが、断酒は全ての感覚を元に戻してくれる魔法のような存在だと私は思っている。
ずうずうしく堂々としていることが大切だ。