気になることだけ

日常で気になった事を書いています。エンタメ、暮らし、美容、恋愛、資格。ジャンルは絞れませんでした。

お酒をダメにしているのは自分だと気付いた話。

お酒を飲むとダメになる。

ずっとそう思ってきたが、「ダメな人間が飲むからお酒がダメになる」が正解なんだと最近ようやくわかった。

実際にお酒が入ってもきちんとしている人はしている。

酔ったとしてもほろ酔いで、自分の記憶があるうちに家に帰ろうとする。

私みたいに朝方に自転車と道路で寝たり、飲んでいる途中でフッと記憶が飛んでしまう癖を持っていない。記憶のない中で他人に暴言を吐いたり、ラーメンやうどん、ポテトチップスを食べることもないし、転んで前歯を欠けさせたりもしない。

 

どうして今まで自分のせいと考えずにお酒のせいにしていたんだろうと不思議に思うが、私の周りの子もお酒のせいにする子がほとんどなことに気が付いた。

「あの人はお酒がなかったらね」

「あの人はお酒が入るとダメになるよね」

「昨日はお酒が楽しくてつい」

私を含め、誰も飲む人自体に問題があるとは考えないらしい。

お酒を飲まない人からしたら、”お酒じゃなくてその人に問題があるんじゃないの?”となるところを、お酒を好んで飲む私は全てお酒のせいにしてしまう。

程度の差はあれど、誰もがお酒で失敗したことがあるからこその思考だと思う。

単純にお酒が好きだからも関係している気がする。

好きな人の悪口を言わないことと同じなのかもしれない。


あと一杯、もう一件がやめられなくてどれだけ嫌な思いをしたか?

どれだけ翌日の時間を無駄にしたか?

考えようとするとうしろめたさと恥ずかしさで顔が熱くなる。

お酒をやめれば、酔って記憶をなくして変なラインを送ることも、翌日に酒鬱で死にたいとなることも全部なくなるのに、今まで私はお酒をきっぱりやめるという選択をしなかった。

二日酔いを超えて三日酔いが当たり前になる頃には、迎え酒をしないと顔のむくみが取れなくなった。肝機能がおかしくなっていたと思う。

お酒が体から抜けるにつれ、手と足が震えるようにもなった。鬱っぽさを消すために、人に会う前に一杯のビールを口に運ぶ習慣も出来た。

家での一人飲みで缶ビールを十二本も空けたり、鏡月を毎日二本飲むようにもなった。

お酒を入れないと人と話せないことに気付いてもお構いなし。

記憶をなくしたまま、自宅のソファーにうんちをしたこともある。ズボンは汚れていなかったので自分の意思でしたと思われる。

トイレと間違えてたのかは分からないが、二十九歳になった女がソファーの上で踏ん張るのはよろしくない。

とにかく、そんなこんなで日常を忘れさせてくれて、気を失ったように眠らせてくれるお酒が私は大好きだったし、親よりも頼りにしていた節がある。

今思えば、完璧にアルコール依存症だったと思う。

自前の不眠症と精神疾患の影響がアルコール依存に拍車をかけたのは間違いない。

 

「このまま飲み続けていたら脳みそが溶けてしまうんじゃないか?」

そんな怖さを感じ始めたとき、世の中はコロナ禍になった。もうやるしかない。

断酒を始めることにした。

 

最初は禁煙と同じで全身と心と頭の中がソワソワしてくる。

常にお酒で頭がいっぱいなので続けられるか不安だったが、飲まないが習慣付くと意外にも楽だった。

断酒が当たり前になった頃、お酒を飲みたいと思わないことが増えた。

これも禁煙と全く同じ現象だったので少しびっくりしたが、ストレスや不安を感じるとまだ脳はお酒で紛らわそうとする。

煙草よりもお酒が手強い理由は正気を保たせないまま、長時間、脳を麻痺させてくれるからだと思う。ストレス解消に手っ取り早い理由でもある。

無理にストレスに逆らうのはよくないと思ったので、どうしても精神的にダメな時はビールを一本、なんだか我慢できそうな日は炭酸水で乗り切ることにした。

これを繰り返した結果、気付くとビールと炭酸水がなくても毎日過ごせるようになった。

終わるときは一瞬だよなとしみじみ思う。

 

普段飲まなくなったからといってアルコール依存症が治ったわけじゃない。

彼らは飲んだらすぐに戻ってくる。

断酒にも慣れた頃、もう大丈夫だろうと友人と会う日は飲んでも良いとした時期があった。最初の数回は自分の意思を持ち続けたまま飲んでいられたのに、何回目からか、突然また記憶を失うようになってしまった。

これはいけないと記憶があるうちにお酒を止めようとしたが、全然出来ない。

「自分はもう大丈夫!」という自信があったので結構辛かった。

一般的にこの状態をスリップというらしい。

「もう大丈夫!」で油断をしているとズルッといってしまうからスリップっていうのかななんて考える。

このスリップはアルコール依存症の治療を受けていて、なおかつ過程が良好な人に多く見られるそうだ。油断大敵だった。

 

断酒をしたからって量を減らす芸当を習得するわけじゃない。

お酒で困っているなら飲まないの一択しかない。過信をすると全てがダメになる。

「でも」で考えてしまうとお酒は失敗する。

なので、「もう少しだけ」「でも飲みたい」は本当は飲みたくないのサインと考えたほうがいい。

そもそも、本当に飲みたいのなら「でも」なんてつかない。

 

お酒をやめるに当たって、まず第一に交友関係を心配すると思うが、はっきり言って良好な人間関係を気付くのにお酒はいらない。

ただ、飲むことをやめた私に戸惑う反応を示す人が多かったのは事実だ。

その戸惑いを感じるたびに「自分は何も悪いことをしていないのに」と胸がキュッと締め付けられた。

”変化に戸惑うのは当たり前のことだと分かっていてもなんだか苦しい。しかし、その変な苦しさに負けてしまえば、一生私は変わることが出来ない。”

こんな葛藤でしばらく気を病んだが、ここを乗り越えたら気持ちが妙に吹っ切れて毎日が楽しくなったし、自然体で生きてもいいかもと妙に安心した気持ちに包まれていることが増えた。

この気持ちよさをたかだか一過性の悩みで失うのはもったいなさ過ぎる。

なので、断酒を考えている人はある時点のその時だけの悩みに負けないで欲しい。

あえてメリットは書かないが、断酒は全ての感覚を元に戻してくれる魔法のような存在だと私は思っている。

ずうずうしく堂々としていることが大切だ。

 

 

 

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【後編】「発達障害かもよ」と言われたので病院に行ってきた話。

今回は、前回の続きになります。

※前回の記事はこちら。

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七月の末に大学病院の精神科に行ってきた。

発達障害だろうなと思ってたけど、先生の口から出てきたのは「境界性パーソナリティ障害(人格障害)」という言葉だった。

一昔前は人格障害という病名だったらしい。ボーダーとも呼ばれてるみたい。

最近、気軽に世間に認知され始めた発達障害なんていう可愛いものじゃなく、人格障害という一切笑える要素のない、ショッキングな単語で成り立っている病名を言われたので泣いてしまった。「嫌だ」とも言いかけた。

先生も言葉を選んで欲しい。”人格障害”ではなく、”パーソナリティ障害”と言ってくれていたら、ここまでの拒否反応を示すこともなかったと思う。

人格障害からパーソナリティ障害に名前が変わったのは、私みたいにショックを受ける人がいたからと、周りに誤解や偏見を招きかねないからだそうだ。

 

私の何をみてそう思ったのかも聞いてみた。

ずっと生きづらい、死にたい気持ちがあること、気分の波が数時間~二日ほどで終わること、自殺未遂やリストカット癖があったこと、幼少期に主に母親との関係に問題があったこと、わけもなく不特定多数と関係を持ってしまうこと、自分がわからないことなどを例として挙げていた。

 

今回、きっと情緒不安定になって泣くか黙るかをしてしまうだろうと思い、事前に話さなければいけないことをプリントアウトしてきたのは正解だった。

予想通り、話してもいないのにパニックで泣いてしまったり、動機が止まらなかったり、ちょっとした言い方で傷ついて口を噤んでしまった。

書いた内容は、物心ついてからずっと生きづらいこと、ずっと眠れないこと、人を信じられないこと、幼少期の家庭環境に問題があったこと、社会生活、日常生活、対人関係に支障が出ていること、小学生の頃から人間関係を自分でぶち壊す癖があること、自傷行為や性行為など衝動的で破壊的な行動をしてしまうことなど。

自分が覚えている限りのことを具体的な例を添えて書けたが、後から思い出して書けなかった部分もある。

それでも診断を下すのには十分な情報量だったので、話す時間が限られている先生からは感謝された。

 

肝心の知能指数を含めた認知検査では、記憶力や知能指数(IQ)といった認知機能に異常は見られなかった。

むしろ、平均よりも上だった。

私の場合は、言葉による表現よりも、パズルや図形を使って視覚的推理したり、素早い筆記処理が得意らしい。しかし、自分のペースで取り組めなかったり、そもそも好きじゃなかったりするものに関しては不注意傾向が見られると出た。

ADHD(衝動、多動性)、ASD(自閉スペクトラム)、両方の特性が見られると検査結果の所見には書いてあったが、先生曰く、「もし発達障害があるなら、あなたは人の気持ちがわからないわけではないと思うので、ASDではなくADHDの方だと思う」とのこと。

ただ、先生は最後まで渋っていたので、先生の頭の中では私は境界性パーソナリティ障害なんだろうと思った。

 

心理(性格)検査では自己像とアンデンティティの問題が大きく、表面的にはある程度上手くやっていくことができるが、自分の内面と人から見た自分とでズレが生じるので、自分はどんな人間でどういう生き方をしたいのかがわからなくなっていると出た。

そういった生きづらさの背景に、家庭内の愛着不全があるそうだ。

人と物事の捉え方が違うので、誰かと何かを共有したり、一緒に活動したりすることが困難なこと、自己否定が大きいのにも関わらず表面的に上手くこなせてしまうこと、周りからの刺激に過敏なこと、感情的なストレスが高まると落ち着いて判断することが難しく、そのまま行動に現れてしまうことも当たっていた。

父との心理的距離が近く、依存気味なことも指摘された。

ただ絵を描いただけ、絵が何に見えるのかを答えただけなのに。

 

愛着障害(愛着不全)については自分でも何となく予想はしていた。

なので私の家には岡田尊司先生の本がある。

タイトルは「愛着障害~子ども時代を引きづる人々~」。

愛着障害の第一人者である岡田先生は、この本で全ての精神疾患のベースに愛着スタイルが関係していると言っている。境界性パーソナリティ障害も例外ではない。

愛着スタイルは主に安定型、不安型、回避型、恐れ・回避型に分けられていて、幼少期の養育者(母親)との関係性で決まるそうだ。

この本での簡易的な愛着スタイルのテストで、私は”不安、恐れ型”と出た。

正確性を図るために、家族間が良好で心が健康そうな友人二人(男と女)にもやってもらった。二人とも”安定型”と出たので、まあ当たっているんだろうなとは思っていたが、今回の心理検査を受けてみて、やっぱりあの本は正しかったんだと思った。

 

また、発達障害と愛着障害の症状がとても似ているらしく、本当は愛着障害なのに発達障害の診断を下されてしまうこともあるそうだ。

だから「発達障害かもよ」と言ってきた仲の良い友人も、「初めて会ったときからそうかなと思ってた」と言ってきた、苦しいときにセックスするだけのあの子も、私自身も勘違いしたんだと思う。

 

愛着障害がベースにあって、境界性パーソナリティー障害で、もしかしたらADHD。

お重箱三段はきつい。

病名や原因が分かれば少しは楽になるのかと思ったら、「自分は人よりも明確に精神が劣っているんだ」と後ろめたくなるばかりで辛いだけだった。

だけど、病院に行って良かったとは思ってる。

自分自身が対して気にしてもなかったことが大事な症状の一つだったり、検査をすることによって、性格や思考の癖や得意、苦手を知る事が出来たからだ。

社会とどのぐらいの距離感で、どういう方法で関わっていけばいくのが自分にとっていいのかを知れたことは大きい。

 

治療に関してはカウンセリングをするしかないと先生は言っていたが、治るかはわからないらしい。

ジェットコースターのように気分が変動してしまう私としては、私が苦しいときにすぐ話を聞いてくれないと話す気がなくなるので困ってしまうし、正直、治療を今すぐやりたいとも思えない。治る確率が見えないなら尚更。

なので、治療はしたいと思えたときにしようと思っている。

 

最後に。

私は建物でいうところの基礎がボロボロの状態で、約三十年も生きてきた。

上手くいかないからといって私が真面目に泣く必要もなかったし、自分をコントロール出来なくて正解だったんだと今なら思うが、開き直る気にもなれない。

なぜなら、私の人生の基礎をボロボロにしたのは自分の親だから。

親だからこそ、悲しいとか憎いとか思っちゃいけないと思ってしまう。これも立派な認知の歪みなんだと思う。

思っちゃいけないと思うけれど、本心は違うから「じゃあ、私はどうしたらいいの?」となってしまっている。

 

今も昔も、私には我慢して許すしか選択肢がない。

「もう大人なんだから」と周りは言うけど、我慢して許すが解決に繋がるはずがない。許したいけど許せない私はどうしたらいいのかわからない。

 

 

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トレーニング後の眠気対策と食事制限のあり方。太りたくないなら筋肉をつけよう。

運動後に必ず、ゆで卵を一つ食べる。

タンパク質の補給と眠気対策が目的だが、眠気にはあまり効いていない。それなのに何故、ゆで卵を食べ続けているかというと単純に黄味の味が好きだからだ。

冷ましたゆで卵の黄身も十分美味しいが、出来立てのゆで卵の黄身は桁違いに美味しい。ホクホクのさつまいもを食べた時のあの感じに似ていて、食べると自然と心も温たまる。

ただ、普通に考えてゆで卵一つのために毎日お湯を沸かすのはコスパと効率が悪過ぎるので、三日に一度の楽しみぐらいに留めておいた方がいい気はする。

本当に濃厚で美味しいので、是非試してみてほしい。

 

以前、何が一番、運動後の眠気に効果があるのかを実験したことがあった。

メンバーはおにぎり、飴、チョコ、キャンディーチーズ、揚げ餅、素焼き無塩アーモンド、大粒ラムネ、無塩ポテトチップス(小袋)、チーズケーキ。

全部、家で余っていた物だ。私が気に入っている物でもある。米派なのでパンは入れなかった。

実験前は糖質が取れるおにぎりかラムネだろうと思っていたが、意外にもこの中で一番眠くならなかった食べ物はチーズケーキだった。

おそらく、塩分や脂質、糖質、タンパク質がこれ一つで取れるからだと思う。

それなら、ゆで卵やおにぎりを食べても眠気が消えなかったのは何故なのか?

脂質、糖質、塩分が取れる揚げ餅でも結果は変わらずだったので、単に塩分と脂質が足りていなかったからではないらしい。きっと全部の栄養素が程良く入っていること、きちんとお腹にたまることが眠気に効く条件なのかもしれない。

「あー眠い!とりあえず何か食べておこう」が間違っているわけではないと思うが、しっかりと効果を感じたいのなら、”栄養素をバランス良く摂取出来るか?”に着目した方が良い気はする。

私の場合はチーズケーキだったが、人によって足りていない栄養素も違うので、間違いなく個人差はあると思う。

他の人達は何の食べ物が合うんだろう。

 

それと、「せっかく運動したのにチーズケーキはちょっと…」という声が聞こえてきそうだが、自分に合った運動と食事管理が日頃から出来ていれば太りはしない。

現に私は、運動後にチーズケーキを食べても翌日の体脂肪率はしっかり減っている。見合った量を適切なタイミングで摂取すれば問題ない。

 

私の知人で、もの凄くダイエットに勤しんでいる子がいる。

普段の食事は食べないか少しだけ、あるいはお酒だけ。ジムにも通い、痩身エステにも行ったりしているらしい。しかし、何かを食べるとすぐに体重が増えてしまうようで、「痩せなきゃ」と口にすることが多い。

なので、プライベートで一緒にご飯を食べようとなったときや、彼女の誕生日お祝いに何かを食べに行くとなったときは、カロリーが低くてヘルシーな物が食べたいと言う。

普段食べないから、食べたときに太るんじゃないかと私は思うが、彼女にはそういう考えはないらしい。

おそらく、”カロリーを取る=太る”に縛られすぎて、何が本当の原因なのかを客観的に探れなくなっているんだと思う。

また、彼女は体の内側からの改善には関心がないらしく、お通じも一週間に一度あればいい方だと言っていた。この、外見の改善にしか目を向けないことも、終わりのないダイエットを助長させている原因の一つだと思う。

 

「意図的に、極端にカロリーを制限する。」

これは、アスリートやボディービルダーのように何かの大会に出場するぐらい、体と食事に特化している人ならともかく、何の大会にも出ない、スーパーモデルになりたいわけでもない、ただの自己満足で痩せたいだけの女の子には危なすぎる。

痩せよう痩せようと気持ちが強すぎると、「もっと!」となってしまうからだ。年齢が若い人ほど抜け出せなくなってしまう。

当時、高校生だった私はそれで生理機能が止まってしまった。

肌はボロボロ、体は骨張り、生理が来ても三ヶ月に一度。自分が細すぎるなんてこれっぽっちも思わない。

大人になり、健康の意味が何となく分かった今ではもう考えられないが、若かったからとはいえ、「なんて怖いことをしていたんだろう」とゾッとする。

取り返しのつかないことになる前に抜け出せて良かったと本当に思う。

 

「若さ」でマウントを取れなくなってきたように、ただ細いだけ、体重が軽いだけで自信を持つのはもう時代遅れだ。

反対に、健康的な綺麗さには流行り廃りはない。

適切な食事をしっかり取り、運動をして筋肉をつける。内側と外側、両方からアプローチすることで食べても太りにくい体になり、代謝が上がることで、常にリバウンドしにくい体にもなる。

自分を苦しめるダイエットをしがち、異性から求められがちな女性達が少しでも減ればいいなと思う。

 

 

 

 

 

十年間、一日四箱も吸い続けてきたヘビースモーカーが禁煙に成功した話。

とりあえずやってみるかと決めてから二年。

最近、ようやく禁煙に成功した。

もうお酒の場で吸いたくなることも、イライラを誤魔化そうと吸ってしまうこともない。煙草のストックで嵩張っていたバッグの中も自然とすっきりした。

 

個人的に一番良かったのは喫煙所がなかったらどうしようの不安から解放されたこと。

「ここは喫煙所があるのか?」「ここは席でも吸えるのか?」「席から近いのか?」で気持ちが左右されることがなくなったのはシンプルに嬉しかった。

楽しむにしろ、買い物に行くにしろ、全力で集中することが出来るのはやっぱり気持ちがいい。

 

禁煙しようと思ったきっかけは「いつまで吸い続けるんだろう」と思ったことだった。

ベランダで煙草を吸っている最中に思うとは思わなかったが、自分が気付いていないだけで、本当は吸って吐いての動作を面倒臭く感じていたのかもしれない。

それに、ずっと吸い続けることに対しての不安もあったと思う。

メリットは気分転換になるだけ、あとは全部デメリット。こんなものを意味もなくひたすら死ぬまで吸い続けて何か良いことがあるのか?自分のためになるのか?煙草よりも自分のために時間を使った方がいいんじゃないか?

色々と考えてしまう。

しかし、不安になったところで時間と健康は戻らない。

それならやめてしまおうと思った。

 

禁煙にチャレンジした回数は大きく分けて五回。

一回目はただの根性論で半年。

かなり苦しかったのでお勧めしない。

二回目からは「三ヶ月禁煙」の繰り返し。

一回目の禁煙で、禁煙から三ヶ月経つ頃に耐え切れなくなることがわかったので、思い切って三ヶ月が経過したら一旦、好きなだけ吸って良いことにしてみた。

そこに"禁煙中でも三軒目からは吸ってもOK"というルールも追加する。

 

この無理しない作戦が成功に繋がったと思う。

根性論で半年、無理矢理禁じていたときは、煙草のことを考えない日なんてあり得なかったが、このやり方に変えてからは逆に考えない日がほとんどだった。

三ヶ月経ったら、三件目の飲み屋からはというように、「吸ってもいい」を条件にすると、確実に吸えることがわかっているから考える必要がなくなるのかもしれない。

面白いことに、煙草のことを考えないので、あるときから煙草を吸ってないことにも気付かなかった。

この無理しない作戦はきっぱり禁煙よりも費用と時間がかかってしまうが、ストレス度が低いのでかなりお勧めである。

本当に吸いたくなるのはどんな時なのか、自分の我慢はどのぐらいの期間続くのかを見定めて継続していくだけなのでやりやすいかと思う。

 

禁煙あるあるの一つ、「食事が美味しく感じられる」をご存じだろうか。

これは禁煙をすると舌の味蕾細胞が復活して本来の味覚に戻ることからきている。

禁煙に成功した人達が口を揃えて言うので半信半疑だったが、このあるあるは本当だった。禁煙前と美味しさは変わらないはずなのに、今はより繊細に味わうことが出来る。

自覚がなかっただけで、私の舌もマヒしていたらしい。

「料理に何を使ったのかもわかるから自分は大丈夫だろう」は通用しなかった。

あと、美味しく感じるのと禁煙のストレスでどうしても食事量が増えてしまうので、禁煙開始と同時に運動を習慣化した方が良い。

 

最後に。

結果的に成功したが、一発で禁煙に成功したわけじゃない。

何かでイライラしたら580円とライターを握りしめてコンビニに直行したりもした。

ライター代を忘れてコンビニの喫煙所でいつ現れるかわからない知らないおじさん待ち(ライター借りたい)をしていたこともある。

三ヶ月ぶりに吸う煙草がキツくてローソンの前に座り込んでいた日もあった。

一本だけ吸って、残りを水に浸してゴミ箱に捨てるという謎の所業もたくさんしたし、煙草を吸いたくて、残りを捨てたゴミ箱を漁ったこともある。

ゴキブリみたいな行動をしてしまって落ち込む時期もあったが、そこを乗り越えて「煙草がなくても平気なんだ」と気付けたときはその倍凄く嬉しかった。

初めて「なくても平気じゃん」の言葉が好きになった。

 

体と肌、歯と口臭、住んでいる部屋が綺麗になって、出費が減り、時間が増える。

こんなにメリットがたくさんある断食はなかなかない。

 

 

【前編】友達に「発達障害かもよ」と言われたので病院に行くことにした話。

私に英語を教えてくれる年上の友人(男)と飲んでいる時に「多分、○○(私)は発達障害があると思うよ」と言われた。

決して私を傷付けようとしての発言ではない。

「なんか生きづらい」「最近、何かしていないと口から死にたいが漏れてしまう」とわたしが話したからだ。

些細なことで深く落ち込んでしまう私の性格を見越して、「お前がダメなんじゃなくて原因がちゃんとあるはずだよ」と彼なりに励ましてくれたんだと思う。


この発言を言われるまでに自分でもなんだかなと思う出来事はあった。

まず、対人関係で人の目を見る事が出来ないこと。小学校の時から親密になった人との関係をリセットしてしまう癖があること。

あと、何で怒られているのかがわからなかったり、人に話しかけられても答えずにそのままじっとしていたりすることもある。

最後に関しては私としては無視をしているつもりはない。ただ単に何も思わなかったから話さなかっただけ。

ドアやエレベーターに必ず体をぶつけたり、気持ちがそわそわし出すと部屋をちょろちょろしたり、小中高と不登校だったこともそうだ。

不登校の件を最近気付くぐらいに自分に感心がないことも追加しておく。


また、やりたくないことや興味のないことは十分も続かないが、好きなことや興味があることなら十時間〜十二時間ぐらい続けてしまうところも変だなと思う。

正確に言うと、半日も続けていることに違和感を持たないところがだ。

顔が青くなってることにも気付かないので少し危ない。

幼少期の家庭環境が悪かったこともあり、私としては発達障害よりも愛着形成に原因がある気がするがどうなんだろう。

 

とりあえずこのままじゃダメだと思い、大学病院の精神科を予約した。

今、不安に思っていることは、診察を受けて発達障害でも何でもなかったら私の生きづらさがただのわがままになってしまうということ。

後が面倒臭いのでショックで自己嫌悪製造マシーンになるのだけは避けたい。

今から診察日までまだ時間がある。バッドシチュエーション耐性を養っておくべきか。

 

もし、発達障害や何かしらの診断が降りなかったとして、私はこれから六十年近くを我慢してまで生きたいと思うことが出来るのか。

ストレスもそうだが、我慢を重ねた先にあるのは爆発的な何かだけ。

生きづらいが爆発した時、自分の感情はどうなってしまうんだろうと考えると怖くなる。

 

診察と診断を受けて、自分が結果を受け入れることが出来たらまた報告したい。

 

病院によっては発達障害(小児専門)だったりするので、これから大人の発達障害関連で病院を探そうと思っている方は必ず電話確認をした方がいいと思う。

見れないことはないが、正確な診断を出すことが出来ないかもしれないとのことだった。

 

 

 

夏場の汗疹を防ぐために体の肌断食を行った結果。

毎年、五月になると背中とお尻に湿疹が出始める。汗疹なのか汗荒れなのかわからないが、自分の汗で荒れていることは確かだった。

原因が分かっているのに病院に行くのも嫌だなと思い、市販薬(ステロイド入り)を使ってみたものの、すぐに効かなくなった。

毎日のように常用すると使い物にならなくなるらしい。

 

自分での対処に限界を覚えたので皮膚科に頼ることにするも、基本的にステロイド軟膏とヘパリン性類似物質ローション(クリーム)を処方されて終わる。

これらも最初は効果バツグンだが、使い続けていくうちに肌の免疫力が落ちてブツブツが増える原因と化した。ステロイドの副作用だと思われる。

 

やることも頼る所もなくなり、少し落ち込んでいた日に肌断食を思い出した。顔が肌断食で綺麗になったのなら、体だって同じはず。

その日から保湿と洗いをやめることにした。

冬場に始めたことで最初は余計に乾燥を感じたが、あえてワセリンは塗らなかった。肌断食でワセリンも塗らないパターンも体験してみたかったからだ。

また、顔と同じく、体の肌断食でも好転反応が起こる。

私の場合は背中だった。

主に吹き出物が出るだけだが、保湿をしない分、治りが遅くて跡が残りやすい。少しずつ薄くはなってきたが、いまだにまだ残っている。

乾燥と角栓、かゆみがメインの顔の好転反応とは少し種類が違うらしい。

 

そんなこんなで今年の五月。

今年も汗疹でやられるのか?と四月から不安だったが、五月に入っても汗疹ができる気配がない。

六月になっても背中とお尻は綺麗なまま。感動した。

体も肌断食をして良かった!とルンルンで過ごしていた六月の終わり、お尻に赤いポツポツが少し出始める。

「汗をかいてないから」と散歩後のシャワーを一回サボったせいだった。汗疹が出来なくなっても汗はこまめに拭いた方がいいのねと学習する。


早い内に対処しなければと皮膚科で貰った余りのローションを塗ろうか迷ったが、今年の汗疹はいつもと少し違うことに気付いた。

肌断食前の汗疹はすぐに悪化してトビヒ状態になったり、汗疹の中に大量の白ニキビができていたのに、今年の汗疹にはそれがない。いくつかのポツポツだけ。

しかもこまめにシャワーを浴びて患部を綺麗にし、下着を変えるだけで良くなる。

肌断食様様だ。

 

今回、ちょっとの油断で汗疹が出来てしまったが、肌断食は顔だけではなく、体にも効果があることがわかった。

体の肌断食は顔と違って目に見えての綺麗さはないが、何かの症状が出たときにその効果をしっかりと感じることが出来る。

同じように汗疹に毎年悩んでいる方がいるなら、体の肌断食を試してみてほしい。