私に英語を教えてくれる年上の友人(男)と飲んでいる時に「多分、○○(私)は発達障害があると思うよ」と言われた。
決して私を傷付けようとしての発言ではない。
「なんか生きづらい」「最近、何かしていないと口から死にたいが漏れてしまう」とわたしが話したからだ。
些細なことで深く落ち込んでしまう私の性格を見越して、「お前がダメなんじゃなくて原因がちゃんとあるはずだよ」と彼なりに励ましてくれたんだと思う。
この発言を言われるまでに自分でもなんだかなと思う出来事はあった。
まず、対人関係で人の目を見る事が出来ないこと。小学校の時から親密になった人との関係をリセットしてしまう癖があること。
あと、何で怒られているのかがわからなかったり、人に話しかけられても答えずにそのままじっとしていたりすることもある。
最後に関しては私としては無視をしているつもりはない。ただ単に何も思わなかったから話さなかっただけ。
ドアやエレベーターに必ず体をぶつけたり、気持ちがそわそわし出すと部屋をちょろちょろしたり、小中高と不登校だったこともそうだ。
不登校の件を最近気付くぐらいに自分に感心がないことも追加しておく。
また、やりたくないことや興味のないことは十分も続かないが、好きなことや興味があることなら十時間〜十二時間ぐらい続けてしまうところも変だなと思う。
正確に言うと、半日も続けていることに違和感を持たないところがだ。
顔が青くなってることにも気付かないので少し危ない。
幼少期の家庭環境が悪かったこともあり、私としては発達障害よりも愛着形成に原因がある気がするがどうなんだろう。
とりあえずこのままじゃダメだと思い、大学病院の精神科を予約した。
今、不安に思っていることは、診察を受けて発達障害でも何でもなかったら私の生きづらさがただのわがままになってしまうということ。
後が面倒臭いのでショックで自己嫌悪製造マシーンになるのだけは避けたい。
今から診察日までまだ時間がある。バッドシチュエーション耐性を養っておくべきか。
もし、発達障害や何かしらの診断が降りなかったとして、私はこれから六十年近くを我慢してまで生きたいと思うことが出来るのか。
ストレスもそうだが、我慢を重ねた先にあるのは爆発的な何かだけ。
生きづらいが爆発した時、自分の感情はどうなってしまうんだろうと考えると怖くなる。
診察と診断を受けて、自分が結果を受け入れることが出来たらまた報告したい。
病院によっては発達障害(小児専門)だったりするので、これから大人の発達障害関連で病院を探そうと思っている方は必ず電話確認をした方がいいと思う。
見れないことはないが、正確な診断を出すことが出来ないかもしれないとのことだった。