今回は、前回の続きになります。
※前回の記事はこちら。
七月の末に大学病院の精神科に行ってきた。
発達障害だろうなと思ってたけど、先生の口から出てきたのは「境界性パーソナリティ障害(人格障害)」という言葉だった。
一昔前は人格障害という病名だったらしい。ボーダーとも呼ばれてるみたい。
最近、気軽に世間に認知され始めた発達障害なんていう可愛いものじゃなく、人格障害という一切笑える要素のない、ショッキングな単語で成り立っている病名を言われたので泣いてしまった。「嫌だ」とも言いかけた。
先生も言葉を選んで欲しい。”人格障害”ではなく、”パーソナリティ障害”と言ってくれていたら、ここまでの拒否反応を示すこともなかったと思う。
人格障害からパーソナリティ障害に名前が変わったのは、私みたいにショックを受ける人がいたからと、周りに誤解や偏見を招きかねないからだそうだ。
私の何をみてそう思ったのかも聞いてみた。
ずっと生きづらい、死にたい気持ちがあること、気分の波が数時間~二日ほどで終わること、自殺未遂やリストカット癖があったこと、幼少期に主に母親との関係に問題があったこと、わけもなく不特定多数と関係を持ってしまうこと、自分がわからないことなどを例として挙げていた。
今回、きっと情緒不安定になって泣くか黙るかをしてしまうだろうと思い、事前に話さなければいけないことをプリントアウトしてきたのは正解だった。
予想通り、話してもいないのにパニックで泣いてしまったり、動機が止まらなかったり、ちょっとした言い方で傷ついて口を噤んでしまった。
書いた内容は、物心ついてからずっと生きづらいこと、ずっと眠れないこと、人を信じられないこと、幼少期の家庭環境に問題があったこと、社会生活、日常生活、対人関係に支障が出ていること、小学生の頃から人間関係を自分でぶち壊す癖があること、自傷行為や性行為など衝動的で破壊的な行動をしてしまうことなど。
自分が覚えている限りのことを具体的な例を添えて書けたが、後から思い出して書けなかった部分もある。
それでも診断を下すのには十分な情報量だったので、話す時間が限られている先生からは感謝された。
肝心の知能指数を含めた認知検査では、記憶力や知能指数(IQ)といった認知機能に異常は見られなかった。
むしろ、平均よりも上だった。
私の場合は、言葉による表現よりも、パズルや図形を使って視覚的推理したり、素早い筆記処理が得意らしい。しかし、自分のペースで取り組めなかったり、そもそも好きじゃなかったりするものに関しては不注意傾向が見られると出た。
ADHD(衝動、多動性)、ASD(自閉スペクトラム)、両方の特性が見られると検査結果の所見には書いてあったが、先生曰く、「もし発達障害があるなら、あなたは人の気持ちがわからないわけではないと思うので、ASDではなくADHDの方だと思う」とのこと。
ただ、先生は最後まで渋っていたので、先生の頭の中では私は境界性パーソナリティ障害なんだろうと思った。
心理(性格)検査では自己像とアンデンティティの問題が大きく、表面的にはある程度上手くやっていくことができるが、自分の内面と人から見た自分とでズレが生じるので、自分はどんな人間でどういう生き方をしたいのかがわからなくなっていると出た。
そういった生きづらさの背景に、家庭内の愛着不全があるそうだ。
人と物事の捉え方が違うので、誰かと何かを共有したり、一緒に活動したりすることが困難なこと、自己否定が大きいのにも関わらず表面的に上手くこなせてしまうこと、周りからの刺激に過敏なこと、感情的なストレスが高まると落ち着いて判断することが難しく、そのまま行動に現れてしまうことも当たっていた。
父との心理的距離が近く、依存気味なことも指摘された。
ただ絵を描いただけ、絵が何に見えるのかを答えただけなのに。
愛着障害(愛着不全)については自分でも何となく予想はしていた。
なので私の家には岡田尊司先生の本がある。
タイトルは「愛着障害~子ども時代を引きづる人々~」。
愛着障害の第一人者である岡田先生は、この本で全ての精神疾患のベースに愛着スタイルが関係していると言っている。境界性パーソナリティ障害も例外ではない。
愛着スタイルは主に安定型、不安型、回避型、恐れ・回避型に分けられていて、幼少期の養育者(母親)との関係性で決まるそうだ。
この本での簡易的な愛着スタイルのテストで、私は”不安、恐れ型”と出た。
正確性を図るために、家族間が良好で心が健康そうな友人二人(男と女)にもやってもらった。二人とも”安定型”と出たので、まあ当たっているんだろうなとは思っていたが、今回の心理検査を受けてみて、やっぱりあの本は正しかったんだと思った。
また、発達障害と愛着障害の症状がとても似ているらしく、本当は愛着障害なのに発達障害の診断を下されてしまうこともあるそうだ。
だから「発達障害かもよ」と言ってきた仲の良い友人も、「初めて会ったときからそうかなと思ってた」と言ってきた、苦しいときにセックスするだけのあの子も、私自身も勘違いしたんだと思う。
愛着障害がベースにあって、境界性パーソナリティー障害で、もしかしたらADHD。
お重箱三段はきつい。
病名や原因が分かれば少しは楽になるのかと思ったら、「自分は人よりも明確に精神が劣っているんだ」と後ろめたくなるばかりで辛いだけだった。
だけど、病院に行って良かったとは思ってる。
自分自身が対して気にしてもなかったことが大事な症状の一つだったり、検査をすることによって、性格や思考の癖や得意、苦手を知る事が出来たからだ。
社会とどのぐらいの距離感で、どういう方法で関わっていけばいくのが自分にとっていいのかを知れたことは大きい。
治療に関してはカウンセリングをするしかないと先生は言っていたが、治るかはわからないらしい。
ジェットコースターのように気分が変動してしまう私としては、私が苦しいときにすぐ話を聞いてくれないと話す気がなくなるので困ってしまうし、正直、治療を今すぐやりたいとも思えない。治る確率が見えないなら尚更。
なので、治療はしたいと思えたときにしようと思っている。
最後に。
私は建物でいうところの基礎がボロボロの状態で、約三十年も生きてきた。
上手くいかないからといって私が真面目に泣く必要もなかったし、自分をコントロール出来なくて正解だったんだと今なら思うが、開き直る気にもなれない。
なぜなら、私の人生の基礎をボロボロにしたのは自分の親だから。
親だからこそ、悲しいとか憎いとか思っちゃいけないと思ってしまう。これも立派な認知の歪みなんだと思う。
思っちゃいけないと思うけれど、本心は違うから「じゃあ、私はどうしたらいいの?」となってしまっている。
今も昔も、私には我慢して許すしか選択肢がない。
「もう大人なんだから」と周りは言うけど、我慢して許すが解決に繋がるはずがない。許したいけど許せない私はどうしたらいいのかわからない。