化粧っていいことなのか?と思うようになってきた。楽しくない。
自分のコンプレックスを隠すことに必死になりすぎて疲れてしまったからだ。
善し悪しを決めることでもないが、化粧をする度に、わたしが行なっている化粧は悪い化粧かもしれないと強く思う。
同時に「なんか死にたい」とも。
何が私をここまで追い詰めさせているのか?
自分の性格だ。
完璧主義で気にしいなのだ。
このせいで「自分の理想」や「誰もが思う綺麗」に固執してしまい、化粧を楽しめない。結果的に自分で自分の首を絞めてしまっている。
決して人のために化粧をしているわけではないが、完璧主義で気にしいな自分がいる以上、否定は出来ない。
「常に周りにどう思われるかを気にし、妥協を許さず完璧を求める」
外でならまだしも、誰もいない家の中でもそうなのだ。誰も見ていないのに。
おかげで鏡は手放せなくなった。
労力を使う場所を間違えていると自分でもわかっているが、気になってしまうのだ。
気にしいな気持ちも度を超えれば病である。
コンプレックスを隠すために今までにたくさんの化粧品を買ってきた。
気に入らなくて捨てたはずなのに何を思ったか、また同じ物を買ったりもした。
行きたくないのに薬局に足を運び、買いたくないのに商品に手を伸ばす。ネットで化粧品を探しているときは泣きながらだ。
「絶対に見つけなくちゃいけない」が頭の中を埋め尽くしているので、自分が泣いてることは気にもならない。
よくわからない使命感で自分を見失ってしまうのだ。
自分でも異常だとわかっていても、一旦、強迫観念に駆られてしまうともう自分では止められない。気が済むまで何度も繰り返してしまう。
俗に言う、脅迫行為である。
美容整形をする子たちは自分の顔を良くも悪くもしっかりと受け入れたうえでこうしてくれとオーダーをする。一方のわたしは自分の顔と向き合いもせずに次々と良さそうなコスメを手当たり次第に買っている。
なりたい顔の理想やかかる費用が違うとしても、どちらが建設的で健康的なのかは一目瞭然だろう。
”本当に欲しくて買った化粧品はいくつあるのか?”
”買って一回使っては理想と違うのですぐ捨てるをどのくらい続けてきたのか?”
これらを考えるとなんとも言えない疚しさで胸が詰まった。
「隠したい」という気持ちは人が持ってはいけない気持ちなのかもしれない。
つい最近まで、「自分の顔なのにどうして受け入れてあげることができないのだろう」「受け入れられたらこんなことしなくて済むのに」と思う自分がいたが、その頃の自分は自身と向き合うどころか、見て見ぬふりをしていたことをわたしは知っている。
「完璧に隠そうとするほど辛くなる」
自分自身と向き合うことを拒否したせいで、この事実を受け入れるのに十五年も経ってしまった。”自分から逃げ続けていた期間”でもあると思うと本当に情けない。
完璧に隠すのを止めた現在は化粧をすることへの抵抗はほとんどなくなった。
まだ時々嫌になるが、きちんとコンプレックスを確認することが出来るし、「まあ、こんなもんだよな」と良い具合に諦めも付く。
一番嬉しかったのは化粧に限らず、他の面でも同じ事が言えたこと。
化粧をきっかけに自分自身と向き合ったおかげで、全体的に完璧主義の改善が見られたのだ。
以前よりも少しだけ生きやすい気がする。